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生活と詩

与那国二世が『ばちらぬん』を鑑賞して

 

与那国二世が『ばちらぬん』を鑑賞して

 

与那国島出身で現在、大阪をはじめ各地にて民謡を歌っている母親の手伝いをしています。大阪生まれの30代です。

映画『ばちらぬん』を鑑賞して、わたしの周りに居る“どぅなんとぅ”たちと、与那国島のことを文章にしました。


2022年1月1日

晦日を越え壬寅を迎えた夜半3時頃、那覇に住む叔母から母親の携帯へ入電あり、祖母の危篤の報せが届いた。
祖母にとって82歳の誕生日の明け方であった。

ビデオ通話の向こうには、祖母の赤子のような桃色の頬と、一定のリズムで聞こえてくる、微かな唸りが混じった寝息のような呼吸音。
晩年は三味線を持つことができなくなった、民謡が本当に大好きだった祖母。
耳は聴こえているので最期に歌を歌って聴かせてあげてください、と叔母が言う。

「おかあさん、いなむぬきんなよー(残念に思わなくてもいいよ)、いままでいっぱい、いろんなことやってくれたのありがとうと思ってるよおかあさん」

母は声掛けをしながらすぐさま三味線を手に取りチンダミ(チューニング)をあわせる。


‘“いとまぐいと思て持ちゅる盃や みなだあわむらし 飲みぬならぬ”


歌われはじめたのは与那国ションカネー(どぅなんスンカニ)。
与那国言葉でスンクとは、“引きずる”。
スンカニは、引きずられるようなせつない思い、あなたが私のもとを去っていくのが後ろ髪をひかれるほど悲しい、と、愛しい人との別れを歌った民謡だ。
母はその後30分間、震える声を律しながら電話口の向こうへたむけの歌を歌い続けた。


周囲約28km、関西国際空港ほどの大きさに現在は人口約1700人を乗せ、晴れた日には西の海に国境を挟み台湾を臨む、木の葉のかたちをした与那国島

学校が中学までしか無いことにより15歳で親元を離れ、どぅなんちま(=渡難島)と呼ばれるほどの荒れた海を越え生まれ島を飛び出していく若者たちと、医療や生活設備の不足により、不慮の事態に備え島を離れる選択をする高齢者たち。

新年を迎えた明朝、日本列島本土の片隅で、そうして島を離れた子から、島を離れた親へ向けて歌われる島の歌。
この島に生まれた人の、島への想いを、どのようにして島を知らない人たちに伝えよう。


『ばちらぬん』に映し出される与那国島は、自然体ながらも現代の京都の情景と交錯した幻想的な姿をしていて、土くさい歴史を持つ沖縄と人々を見守り共に生きた自然や文化そのものの声を聞くような体験でした。
劇中を通して使われる“しまくとぅば”は、まるで島が人へ語りかけるような響きを持っていて、人々が細胞に持つかつての記憶を思い起こさせるようなしなやかさを感じさせます。

幼いわたしが当たり前のように耳にしていた祖父母や親戚たちの話す島言葉は、いつしか絶滅危機言語として令和の時代に世界に認知されるようになりました。


与那国島での一番古い記憶を辿ると浮ぶのは、晴れた日、照り返すコンクリートのやけた空気の中海へ続く道を走り、なんた浜からの潮騒が聴こえる古家にひとりで住む曾祖母へ会いに行く景色。
龕(がん)を担ぎ墓地へと葬列をつくる野辺送りの、神様の通る道と呼ばれる道である。

曾孫に当たるわたしも、母や叔父や叔母が呼ぶのにならい、曾祖母をあっぱー(お母さん)と呼んでいた。
垣根の外からあっぱー、と声を掛けると、かつて庭へ駆けてくる幼い母の姿を見て「みどー(お嬢さん)、みどー」と母を呼び、そこから数十年後同じ庭で同じように幼いわたしを呼び、かわいいねぇ、いとしいいとしいとわたしの鼻をつねる、皺くちゃのあっぱーの声と姿。

いまは遠い記憶の中にしか居ない人の、子の子の子として、いまこの時代にわたしたちが生きているということ。

 

島で唯一の信号機と、農協へ面したメインストリート
いまはもう閉店したスーパーマーケット
豊年祭 カジキ祭り
なんた浜の白い砂と、夕刻に海へ向かって歩く蟹たち
人の感情のように満ちては引き表情を変える海の姿


戦争を越え繁栄を越え苦難を越え、かつてからいまへ続く長い道のりを、どれだけの人のいのちを島は知っているのでしょうか。

視界の端から端まで貫く水平線、異国から吹く荒風と弾け咲く波の花、雨あがりに匂い立つ土と牛のにおいが交じった草の香、祭りの終わりに響くどぅんたの笛と銅鑼の音、受け継がれてきた神様を送り迎えるしきたり・ならわしと、彼岸と此岸をつなぐ人々の祈り。

 

この世の無常を静かにあらわしながらも、たったいまも力強く佇み続ける国境の島の息吹が、〈あなたは覚えていてくれるだろうか〉〈私は忘れないよ〉と言葉にして、東盛あいかさんの感性に乗り移り綴じ込められたような映画だと感じました。

 

かつてから続くいまのわたしたちがわすれてしまいそうないのちのはなし、雑多な情報と豊かな資源の中で朧気になるたったひとすくいの大切なもの、
“命のある間はお付き合いしましょう”と歌われる、そこに生きる人の深い情け。

何よりもたいせつでいとしい与那国島の記憶を、生きてここからも繋いでいけますように。
そして、忘れない、と名付けられたこの映画を通して、島のこころがどうか多くの人々の奥まで届きますように。

『ばちらぬん』が黒潮に乗って、より遠くの地を訪れ、また海を越え生まれ島へ帰ってくる未来を願います。

 


※沖縄の三線を、八重山地方では三味線と呼ぶので口語のままに表記しました。

 

 

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